まるでエアポケットのように、周囲の喧騒とは無縁の静かな街並みを残す神楽坂。
黒い板塀が迷路のように続く小径の中に、小さな案内に気づかなければ見落としてしまいそうなほど周囲に馴染んで、ひっそりとTRUNK(HOUSE)がある。だが一歩足を踏み入れると、紛れもない今の“東京”が展開されている。一言では言い表せない多様な価値観を内包する空間がいかにして生まれたのか。
TRUNK代表・野尻佳孝の“遊び仲間”であり、内装を担当したTRIPSTER代表の野村訓市氏との対談によって詳らかにしていく。前編では、”東京人”である二人にとっての、東京の”現在”ついて語ってもらった。
<TRIPSTER>
1999年より辻堂西海岸で海の家「SPUTNIK」を企画運営していた小笠原賢門氏、野村訓市氏、山田航氏の3人によって2004年に設立。現在、永田理氏をチームに加え、案件ごとにプロジェクトチーム編成し、国内外の様々な店舗設計及び建築ディレクションを手掛けている。
野尻:
東京の魅力はなに?って、よく聞かれる質問だけど、ひとことで言えば、「カオス」なところかな。街並みも思想も。巨大なビルの隣に小さな民家があったり、この神楽坂みたいな小径がある大都市ってほかにないんじゃないかな。
野村氏:
正直、俺は東京が面白いって言われても最初はわからなかった。野尻くんもそうだけど、東京生まれの東京育ちでしょ。だから小さい時には海外志向だったし、東京に住んでいると他所に面白いところがあるだろうって。
野尻:
そうね、小さい頃はアメリカの映画観て憧れを抱いたりね。確かにその時に東京が面白いなんて、考えたこともなかった。大人になって、海外を知ったからかもしれない。
野村氏:
東京の方がダサいと思っていたんだから。だから海外帰りの方がいろんなことを知っていて偉かったじゃない? 東京の方が文化的に進んでいるとか、面白いなんて全く思わなかった。正直、今もどこに住んでもいいなと思っているんだけど、故郷っていうのもあって東京ってやっぱりいいなって。ご飯も美味しいし。
野尻:
特に40歳過ぎてから、マインドが変わるじゃない?母国愛じゃないけど、東京愛が生まれて、見方も変わったよね。もしかしたら愛着なのかもしれないけど。
野村氏:
ソフィア・コッポラの映画『ロスト・イン・トランスレーション』を手伝ったのが2003年で、俺はあのとき30歳で。東京の何がいいんだろうって当時は思っていた。だからソフィアからのロケーション・リクエストが出てきた時に、パチンコ屋とかカラオケとか、なんてベタなものを撮るんだと思った。面白くないって、日本人スタッフは全員思っていたんだよね。
だけどソフィアが撮りたいっていうから(笑)でも完成した映画を観た時に、東京って結構ステキに見えるっていう意味がわかったっていうか。
野尻:
俺も30代後半で海外に住んだ時に、東京らしさとか日本らしさみたいなものにフォーカスし始めた。外からの目で見ることができたのかな。どんどん近代化しちゃっているのを見た時に、もったいないと思ったんだよね。
野村氏:
俺は編集者だから日本に来るいろんな人と話すと、それがデザイナーでも映画監督でも、だいたい口を揃えて言うのが、野尻くんがさっき言っていた「カオス」っていうこと。新しいものと古いものが混在していて、ビルの隣に小さな神社があったり。つまり、プランされていない街並み。その「カオス」って、要は“対の概念”だと思う。
古いものと新しいものが混在しているから面白いのに、どんどん古いものを壊してしまう。これがステキだと言われているものをどんどん自分たちで壊しているのがすごくおかしい。壊している企業が、国がやっているクールジャパンのキャンペーンを支援しているみたいな構図があってさ。いや、壊すのはしょうがない。開発は止まらないから。でも開発したら、すぐ隣にある“陽だまり”みたいな場所は、必ずそのまま残すべきだよ。だって、それが東京の魅力なんだから。
例えば渋谷なんて本当にひどくって、野尻くんと一緒に飲みに行ったりして、こんなに変なビルがこんな場所にあるんだっていうものが結局、気付いたら買収されていて、ビルごとなくなってしまう。
野尻:
魅力が剥奪されていくのを守りたいっていう気持ちはあるよね。どんどん古いものを壊して失ってしまえば、個性も同時に失ってしまうから。
野村氏:
新しいものが悪いわけじゃない。例えば、TRUNK(HOTEL)は、俺らみたいな歳の人間が行かないエリアにできたけど、ひとついい場所ができると中継点になる。「じゃあ仕事の帰りに原宿行ってトランク寄るわ」って、人の動線がすごく変わる。泊まる人だって、ちょっとその辺を散歩してもらうと、近くには変なバーがあったり、違う表情が見えてきたりする。それが旅をステキにしてくれるでしょ。
でも再開発が始まっている渋谷の桜丘なんて、言い方が悪いけど爆心地みたいだもの。爆撃でぶっ壊れたみたいに何もないでしょう? 一度壊してしまったら個人ではテナントに入れないよ。東京の良さって、雑居ビル文化にあると思うから。
野尻:
本当。雑居ビル文化は特区として残して欲しいよ。
野村氏:
開発したら、その隣はできないとかね。
野尻:
訓市に渋谷の散歩に誘ってもらって一緒に歩くと面白かったな。何これ、こんなのあった?って気づかされる。
野村氏:
ソフィアってバブル後に東京でカメラマンのアシスタントしていたんですよ。その時に行っていたお店をベースに『ロスト・イン・トランスレーション』の脚本を書いていたんだけど4年後くらいに映画を撮ろうと思ったら一軒も残ってないわけ。それで二人でロケハンに行こうかって3日くらい一緒にいたんだけど、車を用意しようとしたから車はいらないって断った。車でなんか、東京はわからない。恵比寿から渋谷、表参道まで、真夏に汗まみれで歩いて。すると「こんなところに、こんなお店の入り口があるの?」って、「やっぱり東京って変わってるわ」って言うんだよね。
今、危惧しているのは、そういう面白い場所が画一化されて、全部モールみたいなものになってしまうことだよ。
野尻:
渋谷の駅前にも横丁があるじゃん。日本を代表する最高一等地にあんな横丁があったら、海外から来た人は面白いよね。作りたくても絶対に作れない。戦後の闇市があの場所にあって、そこで何の肉かわからないようなものを食べさせていたっていう歴史が、今に続いているから面白いんだよ。
野村氏:
野尻くん、今度、北島三郎さんと対談したらいいよ。この前、取材させてもらったら、サブちゃん、渋谷で7年も“流し”をやっていたんだって。渋谷が本当に谷で、宇田川町が全部スナックで、そこを転々とギターを持って流していたっていう話を、さすがエンターテイナーだから、情景が浮かぶように話してくれた(笑)サブちゃんの渋谷マップ、今のうちに作らないと。
野尻:
すごい時代だったんだろうね。面白いな。東京って海外の都市政策みたいに政府がグリップしてこなかったから、みんなやりたいことがやれていたのかもしれない。戦後の焼け野原から、それぞれが好きなようにやってきた結果が今の「カオス」を作っている。見方を変えれば、ポテンシャルがすごくあるなと思う。もちろん渋谷だけじゃなくて、他のエリアにもいくらでも探せば出てくると思うね。
後編へ続く:
TRUNK(HOUSE)ができるまで Vol.1 野村訓市×野尻佳孝 特別対談 後編
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